哲学とは精神を耕すこと:キケロー

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Cultura animi philosophia est. 哲学とは精神を耕すこと

キケローの『トゥスクルム荘対談集』2.13 に見られる言葉です。 文頭の Cultura は英語の culture の語源です。cultus は「耕す」という意味の動詞 colo からできた名詞で、「耕作、耕すこと」が原義です。二つ目の animi は「心、精神」を意味する animus の変化形です。cultus とあわせ、「心を耕すこと」と訳せます。三つ目の philosophia は英語の philosophy の語源です。もとをただすと、ギリシア語Φιλοσοφία に由来します。ギリシア語のもとの意味は、「知を愛すること」となります。

日本語で「哲学」という語彙は独特の語感を持っています。日頃、幼稚園児と接している者として、子どもたちは日々「心を耕している」と表現することに違和感は感じませんが、それが「哲学」かといわれたら、ちょっと言葉が大げさだと思います。「哲学」という日本語にとらわれるとそうなのですが、表題に上げたラテン語(ギリシア語)の元の意味、すなわち「知を愛すること」につながっているかと聞かれたら、答えはもちろんイエスです。子どもたちは探求心が旺盛で、いつも好奇心に輝いています。

「哲学」は明治になって philosophy の訳語として生まれた言葉です。まだまだ生硬に聞こえるのはやむを得ません。わたしたちはこの言葉が社会の中で熟成するのを待つ一方、言葉の源になった英語のフィロソフィーだけでなく、そのルーツとなるギリシア精神に遡る必要があるわけです。ちょっとした探究心、まさしく philosophia の心をもって。

関連図書:

キケロー選集〈12〉哲学(5)
キケロー 木村 健治
4000922629

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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