Odi et amo. われ憎み、かつ愛す:カトゥルス

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カトゥッルス:Odi et amo. われ憎みかつ愛す。

語彙と文法

「オーディー・エト・アモー」と読みます。続けると「オーデタモー」。
ōdīは「憎む」を意味する不完全動詞 ōdī,ōdisseの直説法・能動態・完了、1人称単数です。形は完了ですが、意味は現在として訳します。
amōは「愛す」を意味する第1変化動詞 amō,-āreの直説法・能動態・現在、1人称単数です。
etは「そして」を意味する接続詞です。
私は憎み、そして愛する」と訳せます。
恋に苦しむ者の矛盾した心を簡潔に表しています。
ローマの恋愛詩人カトゥッルスの言葉です(Catullus 85)。

Odi et amo.を含む2行の詩

ギリシア人・ローマ人のことば』(岩波ジュニア新書)の中に、カトゥッルスの残したことばとして、表題の「われ憎み、かつ愛す」(Odi et amo)が紹介されています。典拠となる85番の詩は、次の2行だけですが、簡潔な表現の中にも、深い恋愛心理の洞察が刻み込まれています(Catullus 85)。

Ōdī et amō. quārē id faciam, fortasse requīris.
nesciō, sed fierī sentiō et excrucior.

わたしは憎み、かつ愛す。どうしてそんなことができるのか、君はたぶん聞くつもりだろう。
わたしにもわからない。ただそういう気持ちになるのを感じ、苦しむのだ。

この二行の語彙と文法

1行目(quārē以下)

quārē (クゥァーレー)は「なぜ?」を意味する疑問副詞。
id (イド)は指示代名詞 is,ea,id (それ)の中性・単数・対格。faciam の目的語。
faciam (ファキアム)は、「行う、する」を意味する第3変化動詞faciō,-cere の接続法・能動態・現在、1人称単数。
fortasse (フォルタッセ)は「おそらく、たぶん」を意味する副詞。
requīris(レクゥィーリス)は「尋ねる」を意味する第3変化動詞 requīrō,-ere の直説法・能動態・現在、2人称単数。「あなたは尋ねる」。

2行目
nesciō (ネスキオー)は「知らない」を意味する第4変化動詞 nesciō,-īre の直説法・能動態・現在、1人称単数。「私は知らない」。
sed は「しかし」。
fierī(フィエリー)は「なる」を意味する不規則動詞 fīō(フィーオー)の不定法・現在。
sentiō(センティオー)は「感じる」を意味する第4変化動詞 sentiō,-īre の直説法・能動態・現在、1人称単数。
excrucior(エクスクルキオル)は「苦しめる」を意味する第1変化動詞 excruciō,-āre の直説法・受動態・現在、1人称単数。「私は苦しめられる」。

「われ憎み、かつ愛す」という表現に凝縮される詩人の内面の葛藤は、「不実な恋人へのうらみ」と共通するテーマといえます。ローマの誇る独自のジャンルとして、しばしば風刺詩と恋愛詩の2つが指摘されますが、カトゥッルスは後者の創始者と目されます。
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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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