『変身物語』におけるケパロスとプロクリス

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自らの悲しみを語るケパロス

オウィディウスが『変身物語』で伝えるケパロスとプロクリスのエピソードをご紹介します(引用は中村善也訳)。

導入部:「ポコスが目に留めたのは、ケパロスが見知らぬ木からつくられた槍を手にしていることだった。その穂先は金でできている。しばらくの語らいのあと、話の途中でポコスはいった。「わたしは、森や狩猟が大好きなのですが、あなたがお持ちの槍が何の木でできているのか、さきほどから不審に思っていました。」(中略)たずねられたことにケパロスは答えたが、どんな代償によってそれを得たのかということだけは、語るのをはばかった。口をつぐんだが、亡き妻(プロクリス)をおもう悲しみにたえかねて、涙ながらにふたたび口を開いた。「ポコスどの、誰にも信じてはいただけまいが、この槍がわたしの涙を誘うのです。そして、わたしがこれからも生きながらえるさだめなら、いつまでもそうであるでしょう。この槍が、愛する妻とわたしとを滅ぼしたのです。こんな贈り物は、はじめからなかったほうがどんなによかったか!」

ケパロスがポコスに語る物語は、大きく分けて2つのエピソードから成り立っています。その1つは、自分が猜疑心から妻の貞節を疑う話、その2は『恋のてほどき』でも詳しく語られているようなエピソード、すなわち、妻がケパロスの槍に命を落とす話です。

ケパロスの猜疑心

ケパルス(ケパロス)の美しさは、曙の女神エオスをとらえるほどで、女神はかれを自分の城に連れていきます。ケパロスの自身の言葉を借りれば、「女神様にはお許しをいただいて、本当のことをいわせていただきましょう。彼女のばら色の顔がどんなに美しく、彼女が昼と夜との境界を支配して、神酒(ネクタル)に養われる神の身であっても、それでもわたしはプロクリスのほうを愛していました。(女神より妻を選ぶ夫といえば、オデュッセウスを思い出します)。」

プロクリスのことばかり口にするケパロスに立腹した女神は、「いつまで泣き言をいっているの、この恩知らず?なら、プロクリスのそばへいらっしゃい!でも、わたしに予見の力があるなら、きっとそれを後悔するでしょうよ」といって、彼を追い返しました。帰る途中、女神の言葉を思い返すにつけ、ケパロスは妻が夫婦(めおと)の道を守っていないのではないかと不安になりました。そこで女神に頼んで姿を別人のように変えてもらい、自分とはさとられずにアテナイに戻り、自分の家にはいります。それからの経緯を、ケパロスは次のように語っています。

「彼女は悲しげな風情でした。とはいえ、悲しみの中にあっても、彼女より美しい女はありえないほどです。(女神に)奪い去られた夫への思慕に悩んでいると見えました。ポコスどの、想像してもみてください、彼女がどんなに美しかったかを!悲しみそのものが、そんなにも彼女には似つかわしかったのです。語る要もありますまいが、貞節な彼女は、いくどもわたしの誘惑をしりぞけました。いくども、こういいました。『わたしは、ひとりだけのものです。あの人がどこにいても、あの人ひとりだけのために喜びをとっておくのです』

まともな男なら、貞操の試しはこれで十分であるはずです。が、わたしは満足せず、一生懸命になってみずからに打撃を与えようとしているのです。彼女との一夜のためなら、どれだけの富をささげても悔いはないといい、ますます贈り物をふやしていって、ついに彼女をぐらつかせたのです。馬鹿を見た猫かぶりのわたしは、叫びました。『おまえの前にいるのは、世にもあわれな見せかけの誘惑者だ!本当は、わたしはおまえの夫なのだ。何という不実な女!この目で現場をおさえたのだぞ!』

彼女は、ひとこともいいませんでした。ただ、恥ずかしさにうちひしがれて、ものもいえずに、このひどい夫と、物騒な家とから逃げ出して行くばかりでした。そしてわたしを憎むあまり、男という男を嫌って山々をさすらい、ディアナ女神にあやかって狩猟に励むのです。」

なかなおり

ケパロスは許しをこい、立場が逆であれば、自分も同じ罪におちいったはずと認めました。プロクリスは、この告白に心を動かし、ふたたびもどってきます。このとき、彼女は、冒頭で言及された槍(ポコスの興味をひいた槍)を贈り物としてケパロスに渡したのです。

プロクリスの死

ケパロスは狩をして疲れると、やさしいそよ風を願い、いつもこう口ずさみました。『アウラ(そよ風)よ、ここへおいで!やってきてわたしを喜ばせ、わたしのこのふところへはいるのだ、いとしき者よ!さあ、いつものように、身を焦がすこの熱さを和らげておくれ!』と。たびたび口にのぼるアウラという名を、ニンフの名前と思い違いをした者が、すぐさまプロクリスのもとへ駆けつけ、聞いた言葉を伝えました。そうとは知らないケパロスは、再び森へ向かい、『そよ風(アウラ)よ、おいで!わたしの労苦を癒やしてくれるのだ!』と繰り返します。とそのとき、彼の罪を我が目で確かめようとしてやってきたプロクリスを、ケパロスは、けものと思って、投げ槍を投げつけたのでした。

エピローグ

瀕死のプロクリスは次の言葉をケパロスに返しました。「わたしの死の原因ともなったこの愛にかけて、わたしの亡きのちに、アウラをわたしたちのねやにいれないでほしいのです」と。ケパロスはこのとき初めて、誤解のもとが名前(アウラ)にあったことをさとり、真実を妻に告げました。オウィディウスによる最後の場面の描写は次のようなものです。

「だが、そんなことを知らせてみても、いまさら何の役に立ったでしょうか?彼女は、ぐったりとなり、最後のわずかな力も、血潮とともに流れ出ます。それでも、まだ何かを見ることができるあいだは、わたしを見ていたのです。が、ついに、わたしによりかかったまま、あわれな最後の息をわたしの口に吐き出しました。けれども、顔は晴れやかで、安心して死んだように見えました。」

オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)
オウィディウス Publius Ovidius Naso
4003212010

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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