ルクレーティウスによる黄金時代解釈

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古代ギリシアの詩人ヘシオドスの語る五時代説話において、遠い過去には神と変わらぬ黄金の族がいて、心に憂いなく、争いを知らず、あらゆるよきものに恵まれて暮らしていたことが言われます(109-120)。一方、現実は悲惨な鉄の種族の代であり、人は日夜労働と苦悩に苛まれている、と。ヘーシオドスによれば、人間の苦悩は、プロメテウスがゼウスを欺き、火を盗んだ事実に起因します。怒ったゼウスは火盗みの罰として、人間に様々な苦難をもたらしました(43-105)。ヘーシオドスはこのような神話を語りながら、人間がゼウスの正義を信じ、労働に励まなければならない理を説いています。この五時代説話のエピソードは、いわゆる黄金時代のテーマとして、後代の多くの詩人たちに様々な形で詩的着想を与えることになりました。ルクレーティウスとウェルギリウスもその例外ではありません。

ルクレーティウスは、教訓詩『万物の本性について』を通じ、エピクーロス哲学をローマ国民に紹介した詩人です。エピクーロスは宇宙法則を独自の原子論によって解釈しましたが、その狙いは心から苦悩を取り去ること、アタラクシアーを得ることにありました。人間世界の出来事に神の介入を認めることは、人を恐怖と苦悩に導く誤った考えの際たるものとされます。人間は正しい自然法則の理解によって、迷信を否定しあらゆる苦悩から解放されるだろうと述べます。

この詩人は、ヘーシオドスの黄金時代のテーマを導入し、エピクーロス哲学の正しさを効果的に訴えています。ヘーシオドスはゼウスの罰として過酷な労働が人々を苦しめると解しましたが、ルクレーティウスによれば、大地も原子の集積である以上、誕生、老化、死のサイクルを免れません。老いた大地がもはや多くを生み出さないのは当然です(2.1105-52)。実際、現実の農耕の困難については、次のように説明しています(2.1158-1174)。

「大地は自ら初めて人類のために、繁茂する穀物を、また豊かなる葡萄樹を、生み出してくれ、甘い果実とか、豊かな牧草とかを与えてくれた。これらの産物は今では、我々の労働を尽くしたところで、とうてい増加するものではなく、また我々の牛や農夫の労力を費しても、鍬を磨滅させても、我々の畑からはとうてい十分には産出してはくれず、畑がその実りを惜しむために、我々の労働をますます必要としている。今や、老いたる農夫は首を振り、嘆息を重ね、手の労苦も徒労に帰すると言っては嘆き、今の世を過去の時世と比べ、祖先の幸運をうらやみ、昔の世は―人それぞれの土地の持ち分は、今より遥かに狭隘であったのに―敬虔の念に篤く、狭小な土地でもきわめて安楽に暮らしていけたものだと、愚痴をこぼしている。また、衰えて、しぼんだ葡萄畑を耕す者も、同様に悲観し、時の動きを罵り、天を呪っていて、万物が徐々に朽ちていくのだと言うことを、また老衰のために疲労しきって、破滅に向かっているのだと言うことを解しない。」

これに対し、過去の人間にも現在の人間にも、変わらぬ共通点として「富や名声への欲望」が認められます。過去においては動物の皮、現在では緋色の衣や黄金が人間の欲望に火をつけ、戦争へと導いていきます(5.1423-24)。黄金のイメージによって人間の欲望を描くという手法(cf.2.24, 27, 28, 51)そのものに、斬新な要素は見い出せないものの、ここで注目されることは、一方ではエピクーロスを神と称え(5.8)、何ものにも動じない心の平静、すなわちアタラクシアーに対して黄金のイメージを付与している点です(3.1-13)。

「かくも大いなる暗黒の中から、かくも燦然たる光明をかかげ得て、生命の喜びを明らかにしてくれたる、おお、ギリシアの民の名誉(なるエピクーロス)よ、わたしはあなたの後を追おうとする者である。(中略)父よ、あなたは真理の発見者であり、父らしい教えを我々に授けて下さる。卓抜せる人よ、あなたの書物から、例えば蜜蜂が花咲く小径に甘きを悉くすするように、我々も亦これと同じく、あなたの黄金の言葉を、恒久的生命を、常に得るに価する黄金の言葉を、吸い取る者である。」

内面の平和は、暗黒に輝く黄金のイメージを与えられながら、ヘーシオドスの描く黄金の種族の生活を想わせます。即ち、ヘーシオドスによれば、黄金時代の人間は、「心に悩みもなく、労苦も悲嘆も知らず、神々と異なることなく暮らしていた」(『仕事と日』112-113)と言われていました。ヘーシオドスは、正義と労働に立脚した社会が現実世界で豊かさを実現すると考えたのに対し(「正義の国」の記述(225ff.)参照)、ルクレーティウスは、外界の悪条件がいかに人間を苦しめようとも、理性(ratio)を正しく用いるならば、心の平和(アタラクシアー)を楽しむことができると教えているのです。言い換えるなら、人間は理性の働きに基づいて、失われた黄金時代の要素を部分的に、すなわち内面において回復できると主張しているように考えられます。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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