聖なる好奇心

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聖なる好奇心

「好奇心」がどれほど大切なものかについて、アインシュタイン は次のように述べている。

「あなたのしていることの理由を考えるために立ち止まってはならない。なぜ自分が疑問を抱いているかを考えるために立ち止まってはいけない。大事なことは疑問を持つことを止めないことだ。好奇心はそれ自体で存在意義がある。人は永遠や人生や、驚くべき現実の構造の神秘について熟考すれば、必ず畏怖の念にとらわれる。毎日この神秘のたとえ僅かでも理解しようと努めれば、それで十分である。聖なる好奇心(a holy curiosity)を失うな。成功した人間(a man of success)でなく、価値ある人間(a man of value)になろうと努めよ。今日では人生に自分が投入した以上の見返りを得る人間が成功者と見なされる。しかし価値のわかる人間は、(他人から)受け取るよりも多くのお返しをするだろう。」

この文章は、一言で言えば「聖なる好奇心を失うな」というメッセージを伝えるものである。その中で「成功した人間」と「価値ある人間」の対比が強調されている。では、この対比は、「聖なる好奇心を失うな」という主題とどのように関連するのだろうか。そもそも、「好奇心(curiosity)」を「神聖な」(holy)と形容したのはどういう意図からだろうか。

再び、アインシュタインの言葉に戻ろう。「毎日この神秘のたとえ僅かでも理解しようと努めれば、それで十分である」と彼は言う。顕微鏡や望遠鏡に映し出される世界が神秘的であるというのなら、同様に、われわれの直面する日々の生活も驚きの連続である。

運命のはからいで、今日の食事にも困らず(困り)、大学で勉強もできる(できなくなる)。運命のいたずらで、事故にも遭う(遭わない)し、彼(女)とも出会えた(別れた)。アインシュタインは、marvelous structure of realityと同様に、eternity(永遠)や life(人生、命)の神秘について考えるように忠告している。それはどうしてなのだろうか。油断するとついつい、人間はa man of success(成功者)になろうとあくせくしてしまうからだ。人生は複雑であり、ゆえに奥深い。安易に答えを見出せず、探検者は困惑するが、もとより、困難は喜びの別名でもある。科学の世界においても、理論の発見が困難であると同時に、多くの満足と喜びを発見者に与えるのと同様である。

人生や運命についても、アインシュタインの目には神秘的で複雑な構造をもつ対象に見えたわけであるが、翻ってわれわれは、自分の人生についてどのように捉えているのだろうか。確かに月にロケットを飛ばすことにより、月にうさぎが住んでいないことが証明されても、われわれは依然として夜空に浮かぶ月を見て沈黙を強いられる。

しかし、アインシュタインの言葉で言えば、a man of successは、見ても意味のない月を見ようとしないだろう。価値(value)でなく能率(efficiency)を尊ぶ生活において、月を見る時間は無駄なものだからである。それに対し、アインシュタインのいう a holy curiosity (聖なる好奇心)をもつ人間は、a man of value (価値ある人間 / 価値のわかる人間)として、日々見落としがちな人生の不思議さ、複雑さにも目を向けるだろう。それは、人間が機械化する過程への抵抗、言い換えるなら人間性回復のキーになると思われる。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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