Nec habeo, nec careo, nec curo.

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「ネク・ハベオー・ネク・カレオー・ネク・クーロー」と読みます。
necは「~でない」。nec A, nec B, nec C の構文で、AからCすべての動詞を否定します。
habeōはhabeō,-ēre(持つ)の直説法・能動態・現在、1人称単数です。
careōはcareō,-ēre(求める)の直説法・能動態・現在、1人称単数です。
cūrō はcūrō,-āre(気をもむ、患う)の直説法・能動態・現在、1人称単数です。
「私は持たず、求めず、気を揉まない」と訳せます。

この言葉は英国の詩人の座右の銘として知られますが、三つの否定文による格言としては、日本語にも「見ざる、聞かざる、言わざる」などがあります。日本語同様、このラテン文も語調がよいです。「もたず、もとめず、気をもまず」とでも訳しましょうか。

必要以上にものを「所有しない」(ネク・ハベオー)けれども「不足を感じることはない」(ネク・カレオー)。その結果「気をもむこともない」(ネク・クーロー)。

この考え方は、成熟期に入った今の日本社会にフィットする価値観のように思われます。所有しないことは貧しさではなく、精神的な豊かさを意味するのだ、という逆説を見事に表現したラテン語と言えます。

人間の欲望、いわゆる物欲を抑制することで様々な気苦労から解放されるという考えは、セネカやホラーティウスをはじめヨーロッパの古典作品にしばしば認められますが、同時にそれは古今東西変わらぬ真理のように思われます。

古くは快楽主義者エピクーロスの哲学にこの考えの原型を見出すことが出来そうです。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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