『ローマ人の名言88』のご紹介

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ラテン語の本を出しました。

アマゾンには好意的なレビューも掲載され、感謝します。

ブログでも紹介されています。ありがとうございます。
だるろぐ
ビジネスブックマラソン

この本について自分で紹介してみます。

「ラテン語の勉強で何が一番大事か」と尋ねられると、私は「とにかく続けること」と答えたい。大学でラテン語を取る人は、比較的ヤル気があって勉強の得意な人が多い。だから、「続かない」。このような皮肉な結果をたくさん目の当たりにしてきた。「もったいない」というのが正直な感想。

ふつう1週間に1コマの頻度で授業がある。予習は必要。問題数は10とか20とかこなさないといけない。最初のうちは(第三変化名詞にさしかかる前まで)意外に予習がはかどる。そのペースを中盤以降も守るには倍以上努力がいる。もしそうなら、予習の量を半分にしてもいい(と私は授業で言った)。

とにかく最後まで続けること。そのことのほうが、毎回「全部の」問題を予習することより大事。授業に向かう私の横をすりぬけて帰ろうとする学生に「騙されたと思って授業に出よ」と言った、その学生は最後まで残った。最後の時間にはちゃんとキケローの訳もできるようになっていた。

山あり谷あり。それが勉強。でも、真面目な学生に限って、重いギアのまま上り坂も根性で登りきろうとして挫折する。そういうときは、ギアを軽くするか、自転車から降りて押して登ればいい。その先にはまた下り坂が待っているのだ。

通信講座に当てはめると、最初のペースが回を追うごとにだんだん崩れてくるのが必然。ヤル気は初回がピーク。内容も次第に山場にさしかかる。だから、「難しい」と感じたら「提出頻度は変えず、こなす分量を減らす」ことで対応するのがベスト。

「こなす分量を変えず、提出頻度を下げる」ことで対応しようとすると、必ず挫折する。

適当に間違いや歯抜けの答案とつきあうこと。そうしてともかく休まず最後まで続けること。少々の間違いや失敗は、それもいつかよい思い出になると達観すべき。

真面目であるということは勉強にとって大事なアドバンテージ。でも、それがアダになることもある。ラテン語に近づく人はみな真面目にきまっている。だから、もっと真面目にやれ、とか、予習は欠かすな、という真面目なことを言っても逆効果。

不まじめになれ、というつもりは毛頭ない。続けること。それには楽しむこと。先生が楽しませてくれることもある。でも、自分で楽しみを見つける余白がいっぱいある。それがラテン語の勉強。一つのフレーズだけで1時間はあれこれ想像を巡らせて心を遊ばせることができる。

そんなことが本当にできるのか?と思う人はぜひ「ローマ人の名言88」を手にとっていただきたい。

現代語と違い2000年の歳月をくぐり抜けて今に届く言葉たち。必ずなにかキラっと光る理由がある。いわば、星の数ほど「イイね」がまとわりついた言葉の数々。どこがどういいのか?通り一遍に読んでも理由がわからない。ここをこう読めばこんなに面白く読める、というちょっとした発見をつづった。

あとがきにも書いたが、たとえば Homo sum. (私は人間である)という言葉。英語だと中学1年生で習う表現。でも、なぜだかしらないが、ラテン語の Homo sum. は多くの人達に愛され、座右の銘とされてきた。英語には悪いが、I’m a man. ではこうはいかない。

その「なぜだかしらないが」の「なぜ」に今回私は迫った。ラテン語にチャレンジする多くの人が、楽しく学び続けてほしいという気持ちを込めて。

残念ですが、絶版になったようです。代わりにお勧めしたいのが岩波文庫の『ギリシア・ローマ名言集』です。

 

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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