時間は永遠のある部分である:キケロー『想案論』

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Tempus est quaedam pars aeternitatis.

キケローの言葉です。「時間(tempus)は、永遠の(aeternitatis)ある(quaedam)部分(pars)である。」という意味です。
aeternitas の単数・属格が aeternitatis となります。

自分の生きている時代は、永遠の時間の流れの中のひとこまです。自分の住んでいる地域は、無限の空間の中の一つに過ぎません。それゆえにはかなく、それゆえに大切です。

『国家について』(De Re Publica)の最終場面(スキーピオーの夢)で大スキーピオーは、地上での fama (名声)が芥子粒のようなものである(=無価値である)と教えさとします。しかし一方で、死後の生(=こちらが真実の生であるといわれる)にいち早くはせ参じたいと願うスキーピオー(孫)にたいし、「地上の生を勝手に断ち切ることは許されない」とも言い放ちます。

限りある命をプーブリカなもの(スキーピオーにとってはローマ国家)のために完全燃焼させることが何より大切なこととして示されています。

hanc tu exerce optimis in rebus! これを(汝の魂の力を)最善の仕事において発揮せよ。(キケロー)

『国家について』は、限りある生から永遠の生に至る道筋を描いている作品と読むこともできます。私たちも、自分にとっての「プーブリカなもの」(res publica)はいったいなになのか?じっくり考えるチャンスが得られます。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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