
メメントモリは「自分がいつか死ぬことを忘れるな」という意味のラテン語です。
Memento mori. メメント・モリ:死を忘れるな
Mementō morī. は、「自分がいつか死ぬことを忘れるな」という意味のラテン語です。
一見すると暗い言葉に思われます。しかし、この言葉が本当に促しているのは、死そのものに心を奪われることではありません。自分の人生には限りがあることを自覚し、それゆえ今与えられている時間を大切に生きよ、という呼びかけです。
Mementō morī. の語彙と文法
「メメントー・モリー」と読みます。
日本語では「メメント・モリ」「メメントモリ」という言い方が定着していますが、古典ラテン語の発音では、mementō は「メメントー」、morī は「モリー」と、それぞれ語尾の母音を長く発音します。
mementō 「覚えている、心に留めている」を意味する特殊な動詞 meminī,-isse の命令法・能動態・未来、2人称単数。「覚えていなさい」「心に留めておきなさい」。
meminī は形の上では完了形ですが、現在の意味を表します。「私は覚えている、記憶している」という意味です。現在形を欠く特殊な動詞で、命令には未来命令の mementō が用いられます。
morīは、形式受動態動詞 morior,morī(死ぬ)の不定法・現在。mementō の内容を表し、「死ぬことを」。
したがって Mementō morī. を直訳すると、「死ぬことを覚えていなさい」となります。日本語としては、「自分が死ぬことを忘れるな」「自分が死すべき存在であることを心に留めよ」と訳すのが自然です。
メメント・モリの意味
メメント・モリは、「他人の死を忘れてはならない」という意味ではありません。「自分もいつか必ず死ぬ存在であることを忘れるな」という言葉です。
人生には限りがあります。しかし、死がいつ訪れるかはわかりません。だからこそ、まだ来ていない未来ばかりに心を奪われるのではなく、今与えられている一日を大切に生きる必要があります。
この意味で Mementō morī. は、Carpe diem.「今日この日を摘め」ともよく響き合います。
Carpe diem. が「未来を当てにせず、今この日を生きよ」と呼びかけるのに対し、Mementō morī. は「自分が死すべき存在であることを忘れるな」と語ります。一方は「生」を、もう一方は「死」を口にしていますが、両者が向いている方向は決して反対ではありません。
死を忘れないからこそ、今の生を大切にすることができます。この二つの言葉は、いわば表裏一体の関係にあると言えます。
同じ趣旨を持つラテン語として、
Vīve memor mortis.
「死を心に留めて生きよ」
という言葉もあります。
また、
Mors certa, hōra incerta.
「死は確実、時は不確実」
も、人間には死そのものを避けることはできず、しかもそれがいつ訪れるかはわからない、という事実を簡潔に表しています。
「汝自身を知れ」とメメント・モリ
『ギリシア・ローマ名言集』(柳沼重剛、岩波文庫)では、有名な「汝自身を知れ」(ギリシア語 gnōthi seauton、ラテン語 Cognosce tē ipsum.)について、「自分が不死なる神ではなく、死すべき人間であることを自覚せよ」という意味を含むものとして説明されています。
もちろん Cognosce tē ipsum. と Mementō morī. が同じ言葉だというわけではありません。しかし、「自分が何者であるかを知れ」という呼びかけの中に、「自分は限りある人間である」という自覚を読み取るなら、両者には通じるところがあります。
日本にもある「メメント・モリ」
日本にも、これときわめて近い発想を見ることができます。
兼好法師は『徒然草』第93段で、次のように述べています。
「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。」
人が十分に生を楽しめないのは、死を恐れないからではない。死が身近に迫っていることを忘れているからだ、という意味です。
ここで興味深いのは、死を意識することが「生を楽しむこと」と結びつけられている点です。死を考えることは、生を暗くするためではありません。むしろ人生に限りがあることを自覚するからこそ、現在の生がかけがえのないものとして見えてきます。
さらに『徒然草』第155段には、次の言葉があります。
「死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。」
死は順番を待って訪れるものではない。遠くから近づいてくるのでもない。すでに背後まで迫っていて、気づかないうちにやって来る。それは、沖の干潟がまだ遠くに見えているのに、足もとの磯から潮が満ちてくるようなものだ、と兼好は述べています。
時代も文化も異なりますが、人間が「死をどう意識し、それによって生をどう見つめ直すか」という問いに向き合ってきたことに変わりはありません。
メメント・モリと美術
ヨーロッパでは、死を思い起こさせるために、骸骨、砂時計、消えた蝋燭、枯れた花などを描いた作品が数多く作られてきました。
こうしたモチーフは、単に死の恐怖を強調するためのものではありません。美しさ、若さ、富、名誉など、この世のものはいずれ失われるという事実を目に見える形で示し、人間に自らの生き方を問い直させる役割を果たしました。
Mementō morī. は、文字としてだけでなく、美術や文化の中でも繰り返し表現されてきたテーマなのです。
Mementō vīvere. ――生きることを忘れるな
Mementō morī. と対をなすように用いられる表現として、Mementō vīvere. があります。
「メメントー・ウィーウェレ」と読みます。
mementō meminī,-isse(覚えている、心に留めている)の命令法・能動態・未来、2人称単数。「心に留めよ」。
vīvere vīvō,-ere(生きる)の不定法・能動態・現在。「生きること」。
Mementō vīvere. の直訳は、「生きることを心に留めよ」です。日本語では「生きることを忘れるな」と訳すことができます。
ここでいう「生きる」とは、単に生命を保つというだけではなく、自分に与えられた生を十分に生きる、という意味に理解することができます。
Mementō morī.
「死を忘れるな。」
Mementō vīvere.
「生きることを忘れるな。」
一見すると反対のことを述べているようですが、実際にはよく響き合う言葉です。
自分がいつか死ぬことを忘れない。
だからこそ、今生きていることも忘れない。
「死を意識すること」と「今を生きること」は、決して矛盾しません。むしろ Mementō morī. の言葉が最終的に私たちに問いかけているのは、「限りあるこの生を、あなたはどう生きるのか」ということなのだと思います。
付記
山の学校のブログでこの言葉について記事を書きました(2022-01-30)。

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